リモートワークで「自分の知識を共有する」ことの難しさ:あるエンジニアの小さな一歩
リモートワークが生む「知の共有」の壁
リモートワークが定着するにつれて、日々の業務における心理的な安全性に関わる様々な課題が顕在化しています。その一つに、「チーム内での知識共有や学び合いが、対面で働いていた頃と比べて自然に発生しにくくなった」という状況が挙げられます。
オフィスにいれば、隣の席の同僚に気軽に「これってどうやるんだっけ?」と聞いたり、ランチタイムや休憩中に偶発的に技術的な情報交換が行われたり、誰かがホワイトボードに書きながら説明する様子を傍らで見たりすることがありました。しかし、リモート環境ではそうした非公式かつ即時的なインタラクションの機会が激減しています。
情報共有チャネルとしてのチャットやドキュメントツールはありますが、そこに書き込むことには、対面での会話とは異なる心理的なハードルを感じる場合があります。「こんな些細なことを書いても良いのだろうか」「他の人の時間を奪ってしまうのではないか」「自分が共有する情報は大した価値がないのではないか」といった躊躇いは、多くのエンジニアが経験することかもしれません。
このような心理的な壁は、チーム全体の技術力向上を妨げるだけでなく、個人の成長機会を減少させ、自分がチームに貢献できているのかという不安にも繋がりかねません。本記事では、リモートワーク下での知識共有に関する心理的な難しさと、それを克服するための小さな一歩について、あるエンジニアの視点から考察します。
「共有するほどでもない」と思ってしまう心理
経験数年のエンジニアとして、筆者自身もリモートワーク環境下で知識共有に躊躇を感じた経験があります。
例えば、開発中に特定のライブラリのちょっとした便利な使い方や、デバッグでハマった際の意外な落とし穴を発見したとします。対面であれば、作業の合間に隣の席の人に「そういえばさ〜」と話したり、チームの軽い雑談中に触れたりすることが自然でした。しかしリモートでは、こうした情報を共有するためには、チャットツールでメッセージを投稿するか、情報共有ツールに記事を書くという、比較的フォーマルなアクションが必要になります。
その際、「こんなこと、みんなもう知っているんじゃないか」「わざわざ時間を取って共有するほど特別な情報ではないだろう」「まとめるのが面倒だ」といった考えが頭をよぎり、結局共有しないままになってしまうことがしばしばありました。また、「自分がこれを共有することで、本当にチームの役に立つのだろうか」という、自身の知見に対する自信のなさも影響していたように感じます。
一方で、他のメンバーに「ちょっとしたこと」を聞きたい時にも、同様の心理的な壁を感じていました。「こんな基本的なことを聞くのは恥ずかしい」「忙しい相手の手を止めてしまうのは申し訳ない」と考え、一人で抱え込んで延々と調査したり、遠回りな方法で解決しようとしたりすることもありました。結果として、かなりの時間を無駄にしてしまったという苦い経験もあります。
このような状況が続くと、チーム内で個々人が別々に似たような問題で悩み、非効率が生じます。さらに、「このチームでは、気軽に質問したり、些細なことでも共有したりする雰囲気ではないのかもしれない」と感じるようになり、心理的な距離が生まれてしまう可能性もあります。
知識共有の心理的な壁を乗り越える小さなアクション
このようなリモートワーク下での知識共有に関する心理的な壁を低くするために、筆者が試したり、あるいはチームとして取り入れたりした「小さなアクション」がいくつかあります。
1. 「完璧な情報」ではなく「生の情報」を共有する習慣をつける
まず重要なのは、「共有する情報は、完全に整理され、誰にでも分かりやすい完璧な形である必要はない」と考えることです。開発中の発見や調査中のメモなど、まだ断片的であっても「これはもしかしたら誰かの役に立つかもしれない」と感じたら、まずは情報共有ツールの下書き機能を使ったり、チーム内の「お助け/Tips」のような非公式なチャットチャンネルにラフな形式で書き出してみることから始めました。
## [調査メモ] XXXライブラリのYYY機能について
- ZZZという挙動が仕様かバグか調査中
- v1.2.3で確認。v1.2.0では発生しない模様
- 公式ドキュメントには明確な記載なし。Issue #1234で関連議論あり
- 一時的なworkaroundとしては `hogehoge` という設定を加えると回避できることを確認
- 続報があれば追記します
このように、後から追記・修正することを前提に、現時点での「生の情報」を速報的に共有するだけでも、チームメンバーが同じ問題に直面した際に調査の取っ掛かりになったり、「誰かが調べているらしい」と知るだけでも安心できたりします。
2. 共有するチャネルや場所の使い分けと「気軽さ」の醸成
フォーマルな情報共有ツール(Confluence, Notionなど)とは別に、SlackやMicrosoft Teamsなどのチャットツールに「技術Tips」「Q&A」「詰まったことメモ」といった気軽に書き込める非公式なチャンネルを用意するのも有効です。ここでは、ブログ記事のような完成度ではなく、「独り言」「備忘録」のような感覚で、些細な発見や質問を投稿することを推奨します。
#technical-tips
山田太郎: Vueのcomposition APIでrefの中身をコンソール出力する時、`.value` つけないとProxyオブジェクトのまま見づらいんだなと今更気づいた... `console.log(myRef.value)` 大事ですね。
このような投稿に対して、他のメンバーが気軽にスタンプでリアクションしたり、「私も同じことありました!」「自分はこうしてます」といった短いコメントを返したりすることで、「共有して良かった」「ここは気軽に発言できる場だ」という心理的安全性が醸成されます。
3. チームとして「聞くこと・共有すること」を歓迎する姿勢を示す
リーダーや経験豊富なメンバーが率先して「これ知ってる人いますか?」「こんな情報見つけました」と積極的に発信することで、他のメンバーもそれに倣いやすくなります。また、誰かが共有した情報に対して、内容の質に関わらず感謝やポジティブな反応を示すことも非常に重要です。
例えば、誰かがチャットで質問した場合、すぐに答えが返ってこなくても「調べてみますね」「後で確認して連絡します」といった反応があるだけで、質問した側は「無視されていない」「誰かが気にかけてくれている」と感じて安心できます。
小さな共有の積み重ねがチームを強くする
リモートワーク環境では、意図的に仕組みを作ったり、一人ひとりが小さな意識改革を行ったりしないと、自然な知識共有や学び合いは生まれにくいのが現状です。しかし、「完璧である必要はない」「まずはラフに書き出してみる」「気軽に質問・共有できる場を意識的に利用する」といった小さなアクションから始めることで、心理的なハードルを少しずつ下げることができます。
あなたが発見した小さなTipsや、過去に経験したエラーの解決策は、他の誰かがまさに今、必要としている情報かもしれません。完璧を目指さず、まずは「誰かの役に立つかもしれない」という気持ちで、小さな一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。そうした一人ひとりの小さな共有の積み重ねが、リモートチーム全体の知識レベルを底上げし、より心理的に安全で、互いに助け合いながら成長できる文化を育んでいくはずです。